編集とデザイン
事象を集めて、編みながら、発酵を待つこともまた編集
世の中のおもしろいと思うもの・ことを自分なりのストーリーを組み立てて、
材料を集め、読み物などのカタチにまとめること、
それが「編集」という過程。まさに「集めて・編む」ことです。
パソコンを使えば(今ならタブレットデバイスやスマホでも)誰でも編集者になれる時代です。テンプレート通りに空欄を文字や画像を埋めていけば、一見コンテンツらしいものはできてしまいます。
ただ最後まで興味を引き続ける文章・構成で、最後のページまで完読されるものを作れる人はほんのわずかでしょう。
伝えたい内容の「本来の質量」を超えてまで、買ってもらう書籍にするにはページ数が足りないんじゃないか、などと余計なサイドストーリーを増やしてしまったり、同じことを何度も言葉を変えて繰り返してしまったり…。
世の中に情報が溢れかえってしまった今、著者の伝えたいことを 最後まで読み切ってもらえることは、もう稀なことなんだと気づいたほうがいいです。
SNS時代のコミュニケーションは「短いことが正義」。
「ん、これは長文じゃないか?」と嗅覚が働いたら、「パス」するか、読んだことにしておく「既読スルー」にするか、気になる内容なら「後で読む」という名の、読まれないフォルダに投げ込んでしまいます。
長〜い文章なんて、読んでいる暇は無いんです。
Instagramに人が集まるのは、画像中心のメディアだから、
ひと目見て「いいね♡」、はい終了。
これが令和のスピード感。
一方で、手元においておくだけ、自分の本棚に飾っておくだけで満足、という書籍もあります。
はい、こんなカンジで。
昭和の中産階級の応接間には、うっすらホコリをかぶった地球儀とともに、百科事典の全集がA〜Z順に陳列されていました。
そう、家族は誰ひとり読まない「飾り」です。
★ ★ ★
書店に並ぶ書籍だけでなく、世の中には 商品を売るためのツールとしての編集物があります。
店頭に並ぶカタログやパンフレット、ポストに届くダイレクトメールやチラシ、お得意様やブランドのファンだけに届く定期刊行物(ハウスオーガン)などの商業印刷物も、それぞれの意図を持って素材を集め、編集されています。
■ 素材が発酵するとき ■
「社内報」のようにクローズドな組織内にのみ届く刊行物も、またその集大成のような「社史」も、社員の営みや歩み、事実を集めて・編まれた編集物です。
ところが素材を集めて、テーブルに並べるなかで、思いもつかなかった共通性や近似性に気づくことがあります。
はじめの企てでは[ A⇢B⇢C ]と並べる想定で集めてきた「素材」が、ある時から 発酵をはじめて、[ C⇢A⇢B ]という並びにすると「こっちのほうがおもしろいやん!わお」と気づかせてくれる奇跡の瞬間があるのです、ごくたまに。
異なる素材が介した際に、 新しいものの見え方や 重層的な意味に気づくチカラ、これもセンスなんですね。
テンプレート通りに空欄を埋める作り方では、なかなか気づくことができないのは、既成の価値に疑問をもつ視点をそのときに持てたかどうか。
もし気づけても、完成に向けてカタチが見えつつある段階で、再編集できる時間やエネルギーを確保するリスクテイク、そして関わってきた人たちを巻き添えにする覚悟をもって関係者を説得できるか。
もっとおもしろくできそうな予兆が見え始めたときに、大きく舵を切れるか。
編集者としての器が試される、とてもスリリングな瞬間ですね。
集めることより、編むことのほうが何倍ものエネルギーが必要な過程なのです。