国内の米を救わな いかんぜよ。
太平洋戦争のさなか1942年(昭和17年)に食糧管理法によって日本の米や麦の供給や価格を政府が管理することになりました。
敗戦後の国民に食料が行き渡らない状態から、GHQ指揮下の日本政府による「農地改革」、さらに生産技術の向上によって、米作農家が増え、政府が全量固定価格で買い上げてくれるのため、小作農家は意欲的に米の生産に取り組むようになりました。
その一方で豊かになってきた日本人の食事は欧風化し、お米の消費量はどんどん減っていきます。政府は過剰な在庫を抱えるようになり、歳入は不足し赤字が拡大しました。
1970年、減反政策による米の生産調整がはじまり、稲作農家は麦や豆・牧草・園芸作物への転作を迫られますが、生産量はそれほど減少しませんでした。そして米の消費量減少にも歯止めが掛からなくなっていきます。
1995年「食糧管理法」から「食糧法」へ
1993年の米の大凶作(1993年米騒動)により、ニッポン国内で著しい米の供給不足になりました。価格暴騰と外国産米の緊急輸入などが起き、食糧管理制度そのものの脆弱性に非難が向けられました。
ウルグアイ・ラウンド農業交渉合意
1999年度よりコメを関税化することで輸入量の抑制に成功し、現在でも年間約77万トンの〈ミニマムアクセス米〉を輸入することで収まっています。
そんな要因などを受け、東郷内閣以来50年以上もの長きにわたり続いた〈食糧管理法〉を廃止し、〈食糧法〉が制定されることになります。
自主流通米
食糧管理法では政府が全量買い上げる方式(政府米)から、民間による流通米(自主流通米)主体の管理調整方法に移行。
生産者の自主性を活かした稲作生産の体質強化と、市場原理を導入し、安価な外国産の米も輸入されるようになりました。
2004年、改正食糧法
さらに2004年の法改正では、大幅に規制が緩和されていきます。
政府が買い上げる政府米(主にいざという時のための備蓄用)と、自主流通米を合わせて「計画流通米」と分類されていました。
「計画外流通米」は農家が直接消費者に販売するお米です。有名ブランド米が登場するものの、近所のスーパーや米穀店では購入できませんでした。
この改正によって、ニッポンのお米の流通と価格を管理していた《計画流通制度》が廃止され、農家やJAが自由にお米を販売できるようになりました。
食料自給率はどうだ
1965年には日本でも73%だった食料自給率が、2000年以降40%の横ばいが続いています。
主要国の食料自給率を2003年だけで比較すると、スイスは49%、オランダが58%、うまいもんが多そうなイメージのイタリアが62%、食べ物が概ねマズイと言われているイギリスでも70%、ドイツ・スペイン・スウェーデンは80%代、アモーレの国フランス、大陸の国アメリカ・カナダでは120%を超えています。国ひとつが大陸のオーストラリアに至っては237%という数値を叩きだしています。
農林水産省試算(カロリーベースで算出)
四大穀物(米・小麦・トウモロコシ・大豆)のうち、米以外のほぼ全量を輸入に頼っているニッポン。
国土の狭いニッポンにおいては、単位面積当たりの収穫量が高い水稲に比較して小麦・トウモロコシ・大豆の収穫量はそれほどでもないというコストパフォーマンスの悪さと、連作障害の問題があり、転作しても毎年同じ作付けができず、休耕か輪作が必要となるのです。
米をもっと利用しよう。
日本の水田農業のうち、6割が主食用水稲の生産、残りの4割が主食用米以外の生産に利用されていますが、この4割の水田を食料自給率向上のために有効活用しようじゃないか、と農林水産省が推進しています。
具体的には、4割の水田で麦・大豆・飼料用作物の生産を促進する一方で、それに適さない地域では米粉用・飼料用の米を本格的に生産しようという試みです。
米粉食品、どんどん増えてます。
米粉を使った食品もよく見かけるようになりました。
パンや麺類について地域の中小企業だけでなく、全国規模の大手メーカーの参入もはじまり、
学校給食でも米粉パンの導入率は26%と、5年間で4倍以上もの伸びを示しています。
日本マクドナルドでも、米粉を利用したバンズの「日本の味」シリーズがテレビで紹介されていました。
流通プロセスを視覚化する
「食と農の架け橋」として設置したファーマーズ・マーケット「たわわ朝霧」の奥に、米粉製造施設ができました。
JA京都が米粉用米を農家から仕入れ、米粉の粉砕から製粉、生地管理から米粉パン製造までを行っています。
はじめにご依頼を伺った時から 〜生産農家さんからパン工房へ、原料の米をバトンタッチして、ここで製粉し、手作りで焼き上げる〜というプロセスを、どうしても表現したいと思いました。
洒落た横文字のネーミングやロゴも考案しましたが〈ストンと腑に落ちる〉表現ということから、全員一致で「たわわパン工房」に決まりました。
よくあるスーパーマーケットのパン売り場の “Point of sales” ではなく、ベルトコンベアに乗ってできてくるパン工場 “Factory” でもなく、原料のお米の事情、そしてJA京都としての米粉利用への取り組み、工房のスタッフが工夫を重ねながら手作りで焼き上げていることをすべて包括して、 “Rice Bakery Kitchen” と表現しなければならないと信念を持ってご説明しました。
そのご提案を快諾していただき、JA京都の取り組みが購買者に対してとてもわかりやすい形でコミュニケートできる、まさに取り組みが〈たわわに実った〉事例になったことを大変嬉しく思っています。